アエラwithキッズの取材 |
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2019年 07月 11日
7月7日(日)に朝日新聞出版社のアエラwithキッズという雑誌の取材を受けました。子供クラスの取材です。女性の記者と男性のカメラマンが道場にきました。相撲、柔道、空手等の武道関係の取材の一環としての取材で、事前に質問を送ってきていました。 質問項目 1:武道としての「合気道」の「道」とは何ですか。 2:この教室を始めた理由とお稽古内容を教えてください。 3:子どもはここで何を学び、どのような力を身につけていきますか?また先生はどのような力を育てたいとお考えですか? 4:子どものモチベーションを保つために、保護者は子どもにどのように関わるのがいいでしょうか? 5:レッスン時間以外で、子どもはどのような練習、努力が必要ですか? 6:可能でしたら、レッスン以外にかかる費用(試験、大会出場など)の目安を教えてください。 指導する先生のへの質問は以上ですが、その他に通わせている保護者や通って来ている子供達へも直接インタビューしていました。その内容は雑誌が出版されてから読んで下さい。 私が皆さんに知らせたかった事は、取材に来た女性記者が思わずつぶやいた一言です。 合気道小林道場の子供クラスの指導を見て「心からホットしました。試合の有る野球、サッカー、剣道、相撲、空手等子供の練習を取材して来ましたが、子供を練習させている親御さん達は本当に子供の為を思い熱心に子供達と向き合っています。指導する先生や見学している親御さん達が子供達に向かって、大きな声で叱咤激励するのは良い事と思います。しかし、段々と白熱してくると怒号、罵声を浴びせる様な時が有ります。『元気が無い、もっと早く、機敏に動け、よそ見をするな、そんなのが取れないのか』・・・等々です。」 合気道の稽古を見て、「指導する笠原先生と子供達が、笑顔で楽しみながら技の稽古、そして、結構激しい補助体操をしています。本当に感激しました」と言ってくれました。合気道の稽古の良さを的確に表現した一言です。 事前に電話で取材の依頼を受けた弘明道場長が記者に聞きました。「何故、小林道場を選んで取材に来たのですか?」回答は「各道場のホームページを見て来ました。合気道小林道場のホームページが分かりやすく、かなり大きな組織で稽古時間も多いいので取材に来ました。実は私田無に住んでいます、近いので」と答えてくれました。どんな記事になるのか楽しみです。 私は「是非合気道の稽古をして下さい。」と言っておきました。 雑誌が発行されたら、皆さんにお知らせします。 #
by shihan_aikido
| 2019-07-11 16:15
2019年 04月 24日
スウェーデンの首都ストックホムにある弥栄道場の講習会に3月25日から4月2日まで行って来ました。弘明道場長が83歳になる私を心配して、孫の香穂弐段(大学3年生)を同行する様に強く言いますので費用は私持ちで同行しました。 ストックホルムの空港にはスウェーデンの著名な写真家マグナス四段が出迎えてくれました。そこで、以前内弟子をしていた中国の林景娣初段が北京から先に着いていて合流しました。北京からストックホルムまでは直行便が有り、多くの中国人が世界中を旅行しているのを実感しました。 マグナス氏の車はトヨタの普通乗用車だったので、大きな3個のスーツケースが積めるか心配しましたが、座席にも置いて何とかなりました。 車が走り出すと林ちゃんが「先生、ビザ申請代、2万円そして航空券代7万円 合計9万円です」と請求されました。中国人が海外旅行でビザを旅行取るときは 大変で預金が通帳に50万円以上、招聘状等などの書類が必要だそうです。半年近く掛ってやっとビザが下りました。 林ちゃんのストックホルム行きは彼女が内弟子として小平道場に2年間滞在中に一生懸命稽古と道場の雑用、私の中国語の先生、そして秩父34観音霊場巡りに同行してくれた御褒美として費用を出すと約束したのです。小遣いを含めて10万円を渡しました。 私が初めてストックホルム弥栄道場に指導に行ったのはウルバンバ師範がまだ20歳前後の1973年夏です。当時、ストックホルムで合気道を指導していたのは市村俊和氏です。彼は私が指導していた東洋大学合気道部初代主将でした。ドイツに指導に行った時に、帰国を延ばしてスウェーデ、ストックホルムまで来て下さいと要請され指導しました。 稽古も無事終わり稽古人約30名と夕食時に事件が起こりました。市村師範が「私の先生が来られたので、歌を歌えと」スウェーデン人の会員に命令したのです。日本の大学では体育会の運動部では宴会の時に下級生が指名されれば、歌を歌う習慣が有ったのです。スウェーデでは勿論そんな習慣は有りませんから、誰も歌いませんでした。しばらく沈黙が続きましたが,市村師範は突然激怒して、立ち上がり稽古人に椅子を投げたり、机を引っ繰り返したりして暴れだしました。会員は誰も止め様としないので、私が見かねて「そんな馬鹿な事するな」と彼を部屋の外に引きずり出しました。 日本では先生、先輩でもこの様な行動をとれば40年前でも大きな問題に成ったと思います。気まずい雰囲気でその場は解散となりました。翌日の稽古には私は誰も稽古に来ないと思いましたが、午前中の稽古時間に何事も無かった様に皆稽古に参加して稽古が無事終わりました。私はスウェーデ人の行動が理解出来ませんので皆に聞きました。「なぜ体も大きく力も有るのに市村師範の行動を止めなかったのだ」と聞きました。稽古参加の一人が答えてくれました。 「昔のスウェーデ人はバイキングとして各地を荒らし回った事が有るが、第一次世界戦争、第二次世界戦争には中立国の立場を守って戦争には参加していません。しかし、日本人はあんな小さい国なのに第二次世界戦争では負けたとは言え、世界を相手に4年間も戦争をしたので非常に好戦的な民族だと思っている。闘争心の強い市村師範に絶対逆らえないと思った」と答えました。 その様な経緯があり、私が指導に行った翌年、小林道場は初めてスウェーデ人のオーベ氏を内弟子として三ヶ月間受け入れました。その体験を踏まえて小林道場も外国人の内弟子を積極的に受け入れ始め、20歳前後のウルバンバ氏、ウルフ氏が内弟子として2年間修行に来ました。まだ弘明道場長が中学生の時です。帰国後ウルバンバ師範、ウルフ師範は小林道場傘下の40畳の「弥栄道場」を開設し小林道場の傘下道場になりました。 ストックホルムはスウェーデの首都で戦災を受けてないので古い建物が整然と残っています。道場から歩いて20分ぐらいで行ける市庁舎は皆さんが良く知っているノーベル賞の授賞式が行われれます。道場は中心街の古い建物の地下に有ります。地下室ですが広さは約100畳、男女の更衣室、サウナそして食堂兼炊事場を備えた道場になっています。 また、ヨーロッパの合気道小林道場の中心道場として、ウルバンバ師範がまとめてくれています。私や弘明道場長が指導に行った時には、多くの国の人達が集まる拠点となっています。合気道小林道場傘下の皆さん是非機会が有りましたらストックホルムの弥栄道場に行って下さい。 追伸、弘明道場長が83歳の私を心配して、孫の香穂2段を付き添い派遣した事が役に立ちました。スウェーデンでは今やカード時代、現金は受け取りません。買い物をしたときに私のカードを出しましたが預金不足で使えませんでした。銀行口座に預金を忘れたのです。食事、買い物すべて孫香穂の後に付いて回っていました。「みじめ、みじめ、みじめ」でした。反省・・・・・・ 講習会の詳細は林ちゃんの活動報告もご覧下さい。 #
by shihan_aikido
| 2019-04-24 10:56
2019年 01月 16日
新年おめでとうございます。 新しい年になり、合気道本部道場の鏡開きにおいて推薦昇段者が発表になりました。 国内外の小林道場関係者も多くの方が昇段されました。誠におめでとうございます。 私の好きな言葉は 「一人でも多くの人に合気道を」と 「段々に 願いをかけて 段々の 段々高き 段を昇らん」 「段々に 段をのぼれば 段々の 段は段々 険しかりけり」が有ります。 私が合気道を稽古しているというと、世間の一般の人達には 何段ですか? と良くきかれます。段、級の高低で修行の高低を判断の基準にして居るからです。私は 生まれた時から九段の上です と答えにます。東京都千代田区の日本武道館の有る九段坂を上がり切った所が実家で生まれた所です。「え・・」と云う顔をしますが冗談だと分かると皆さん笑ってくれます。 昔の武術の制度は「切紙」「目録」「免許」「皆伝」 などでしたが、柔道創始者である加納治五郎先生が普及の為に段制度を考え出したものです。この制度により修行の目標ができ、講道館柔道が世間に普及しました。良い制度ですので各武道関係者も段制度を取り入れるように成りました。 私が合気道の稽古を始めたのは昭和30年(1955年)です。当時は合気道本部道場に稽古に来る人は50名も居なかったと思います。当時の本部道場長、植芝吉祥丸先生は皆さんの顔と名前が分かるので昇段は新年1月15日の鏡開きの日に昇段者の名前を掲示しました。 級、段の審査制度が始まったのは昭和33年頃だったと思います。合気道本部道場も稽古人が増えると共に、支部道場もふえてきました。審査制度を採り入れました。初めの審査は5級からで受験者の相手には内弟子が受身を取りました。受験者の相手が内弟子ですので格上です。気に入らない相手だと技の受け身の時に意地悪し一緒に相手を倒したりしますので、審査近くになると、受験者が受身を取る内弟子にご馳走してくれる様になりました。内弟子達はそれが本当に楽しみでした。合気道の審査にもこんなのどかな時代が有ったのです。 植芝吉祥丸先生は大学合気道の普及に奔走しました。私も母校、明治大学に合気道部を設立しました。各大学合気道部員は全国から集まります。その人達が卒業して故郷各地に帰郷して一部の人達は合気道の稽古を始めました。各道場や支部で段、級の認定が必要に成りますので、審査は本部指導員が審査に立ち会うか、以前植芝門下で修行した人達が立ち会いました。 大学卒業後本部道場指導部員になりました。植芝吉祥丸先生に言われて、現在行われている審査の基本を私と故藤平明師範と二人で原案を作りました。大学合気道部4年間での稽古では弐段までと言う基本もその一つです。
合気道小平道場が発足したのは50年前です。3年後に所沢道場そして八王子道場、元住吉道場と次々開設しました。これには大学合気道部の卒業生が2,3年経つ仕事を辞め小平道場に住み込んで来たからです。その生活費を出す為に支部道場が増えていきました。初めは道場単位で審査していましたが、1年ぐらい経つと審査を受ければ合格という雰囲気に成ってきました。各道場での実力格差も出てきました。 この雰囲気を打開するために私は頭を悩ましました。色々考えた末に本部道場を借り切って全員集まって審査する事にしました。第1回目は約50名受験しました。審査で5割落としました。道場によっては全員不合格の道場が何か所も出ました。指導責任者から苦情が殺到しました。「指導者としての立場や面子をどうしてくれる?小林道場傘下から脱退する!」という苦情です。 私は「分かった、次回から考慮する」と、その場で言いました。次回の審査で私は又5割不合格としました。私としては小林道場の段、級の実力が批判されないような実力を持ってもらいたいと思ったからです。支部や傘下の会員が小林道場から離れても3歳の息子弘明と2人で始めた道場だからと又原点に返り努力すればと覚悟を決めたのです。 受験した門下生達は真剣に我々の事を考えてくれると逆に熱心に稽古し、次回の審査から自分達で納得してから受験してくれる様になりました。小林道場で受験合格した級、段はその実力は国内外の合気道界で何処に行っても納得通用するような規定にしました。そして受験後不合格者は一定期間受験できない規約をも創りました。今でも小林道場の指導部は審査の時この信念を貫いています。 受験者はしっかり稽古をして自信を持って心して受験して下さい。 #
by shihan_aikido
| 2019-01-16 23:00
2018年 07月 23日
6月25日から26日まで世界遺産で有名な群馬県富岡製糸場から歩いて5分位の所に在る「合気道龍光寺道場」に内弟子の林ちゃんと一緒に稽古指導に行ってきました。
合気道龍光寺を取り仕っている神宮(旧姓、大林)千津さんは中学生の時から合気道小林道場所沢道場に入門し熱心に稽古に通ってきました。高校卒業後は幼稚園教諭の資格を取得しました。ワーキングホリデー制度を使いながら小林道場のカナダ、バンクーバー道場やカルガリーの道場に通いながら1年間の海外生活も経験しています。 アルバイトで税務署でも働いた事もあります。非常に積極的で活発な女性になりました。 縁有って群馬県と富岡市「龍光寺」の住職の息子さんと結婚しました。幼稚園の仕事、お寺の仕事そして子供中心ですが合気道の稽古も始めました。 稽古場所は保育園、幼稚園の講堂があります。そのほかに、冨岡製糸場の女工が宿泊していた別棟があります。この場所は畳が50~60枚敷ける広さが1,2階に在ります。今回はこの別棟建物の1階で稽古しました。私の指導稽古なので中高校生と大人1計で男女10名そして千津さん、内弟子の林ちゃん12名で稽古しました。 千津さんは長年小林道場で長年稽古していましたので、指導よろしきを得て生徒たちは基本が出来ていました。私はお互いに向え合わせて並べての稽古しました。一つの技が10回終わると前列の一人が移動しながらの稽古です。 子供たちに自信を持たせる為に、順番に得意な技を私が子供達の受けを先に取り投げて貰い、私が指導演武をして稽古開始しました。お互いに10回投げると一人移動する稽古法です。大人でも子供でも初心者には、この稽古法は短時間に沢山の技を指導する場合非常に効率的な指導法です。子供同士の無駄話もできません。 皆な汗を流しながらの稽古になりました。稽古終わるころには田舎の夜道を一人歩きさせられませんので親達が迎えに来ました。子供達には良い刺激の稽古に成ったと思います。 その後、千津さんからメールを貰いました。彼女の人生に対しての心構えや合気道の情熱が溢れる非常に良い文章なので本人の了解を得て活動報告に掲載させて頂きます。 #
by shihan_aikido
| 2018-07-23 19:22
2018年 06月 15日
先回の「総師範ブログ」で我々が日常生活で使っている刀から出た「刀と言葉」を書いたら、非常に為に成ったと3月の審査後の「合格祝賀会兼残念会」で言われました。「刀と言葉」の続きを書いて下さい」と言われました。
合気道小林道場では剣、杖を審査規定に入れています。しかし、木刀で行いますので、基本の持ち方、構え方は行いますが部分、部分の名称などは質問された時以外は教えていません。以下の言葉はあまり知られていないですが、是非、各道場の指導者、会員は必要と思うなら仲間に知らせて下さい。 時代の流れの中で日本刀は大きく分類され 1、古刀・・・平安時代から室町末期、慶長元年 2、新新刀・・・江戸時代初期より文化、文政前まで 3, 現代刀・・・新新刀以後現代までを現代かたな 刀の各部の名称 1、銘・・・製作者の指名、出身地、居住地、製作年月日をきしたものです。 2、目釘穴・・・目釘を通す穴 3、鯉口・・・鞘の入り口部分を言います。 4、鐺・・・刀剣の鞘の末端部分 5、下緒・・・刀を帯びる際に、鞘が飛び出さないように結びつけるため 紐 6、柄(つか)・・・手で握る部分。7 7、鞘(さや)・・・刀剣の刀身の部分を納めて送られて部分。 この刀の絵は、ハンガリー出身のプロのイラストレーター、小平道場のシャニ四段に描いてもらいました。 日本刀の雑学・・宝島社からの引用 1、匕首(あいくち)に鍔 ・・・匕首に鍔があったらかっこうがつかないことから転じて、不釣り合いの事、不調和のものの例え。 2、似非侍(えせざむらい)の刀弄り・・・実力が伴っていない者ほど虚勢張って人を脅かすたとえ 3、鉛刀(えんとう)の一割・・・なまくらなかたなは一度しか切ることができない事から、自分の力を謙遜して言う言葉。 4、己の刀で己が首・・・戦いで敗れ、自分で自分のから首を落とした武士から転じて、自分がしたことで自分が苦しむことをいう。 5、剣を売り、牛を買う・・・兵時に携わる事をやめ、農業に精を出す。 6、剣を落として船を刻・・・乗っていた船から剣を落とした人が、慌てて船べりに印をつけてその下の川底を捜したという故事かった、古いものにこだわって、状況の変化におうじることができないことのたとえ 7、鞘走りより口走り・・・刀が鞘からぬけでるよりも、口がらの失言が出るほうが危険であるということ。失言の戒め 8、抜かぬ太刀の高名・・・太刀を抜かずに名を揚げるという意味で力量ありそうな人が忍耐や謙遜からそれを発揮せず、かえってほめそやされること、また、くちではあれこれいうが、力量を示した事のない人をあざける言葉 9、刃金が棟(むね)え回る・・・刃鉄がすり減って棟側にまくれて切れ味が悪くなっていくことから転じて、知恵や能力が衰えていくこと 10、初めきらめき奈良刀(ならがたな)・・・きらきらして切れそうだが、ろくに使われないうちに錆びたり刃こぼれしたりして駄目になるのが奈良刀、そこから、見かけは立派でも、すぐにすぐに役にたたなくなるものえの例え。奈良刀は室町時代に奈良付近で大量につくられた粗悪な刀 11、目の鞘がはずれる・・・抜け目ない。また、洞察力がある。 12、昔の剣、今の菜刀(ながたな)・・・若いころには有能であった人も、年をとると役に立たなくなることのたとえ、又古いものは今の役にはたたなくなることのたとえ。 #
by shihan_aikido
| 2018-06-15 17:05
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